高精度・高精密なプレカット製品をご提供|埼玉県寄居町の株式会社サイモクホーム
2025-07-29

両神山に再チャレンジ☆

埼玉の霊峰・両神山――歴史が紡ぐ魅力と伝説

こんにちは!サイモクホームの杉山笙です。弊社はプレカット屋。

先週、ふと思い立って挑んだ両神山の登山。2時間の登山で体力の限界を感じ途中下山する羽目になりましたが、

少し悔しくて、一週間後にまた、両神山登山。

リベンジを果たしてついに登頂しました。険しくも雄大な両神山は、不思議な魅力に満ちた山です。

普段から湧き水巡りや自然散策に慣れていた私は「両神山も余裕だろう」と高をくくっていましたが、その過信を痛感させられるほどの険しさでした。まさに自分との闘いのような登山体験――埼玉県秩父地方に聳えるこの霊峰には、一体どんな歴史と魅力が秘められているのでしょうか。雑誌記事風に、その奥深い世界をご紹介します。

汗でぼやける景色

日本百名山に選ばれた理由:独特の山容と卓越した存在感

両神山(標高1,723m)は「日本百名山」の一座に数えられています。百名山とは単に標高の高さではなく、「品格・歴史・個性」を基準に選ばれた名峰群のことyamachizu.jp。両神山がその一つに選定された理由は、何と言ってもその独特な山容圧倒的な存在感にあります。奥秩父の北東部にそびえる両神山は、遠くから見てもすぐにそれと分かる鋸歯状の岩稜が連なる特異なシルエットを持ち、「標高以上にカッコいい山」と称されるほどですyamachizu.jp。ごつごつと尖った岩峰が天を衝く姿はどの方角から眺めても印象的で、その堂々たる風格こそが百名山たるゆえんなのです。

 

また、両神山は埼玉県を代表する名峰であり、秩父市・小鹿野町境に位置する霊峰です。三峰山・武甲山とともに「秩父三山」と称され、古くから山岳信仰の対象として崇められてきましたsaitama.mytabi.net。山頂からは360度の大展望が広がり、澄んだ日には奥秩父の山並み越しに富士山や北アルプス、さらには関東平野の向こうに東京スカイツリーまで望めることもありますsaitama.mytabi.net。春の新緑や山ツツジ(アカヤシオ)に彩られ、秋には広葉樹の森が鮮やかに紅葉する四季折々の美しさも魅力ですyamachizu.jpsaitama.mytabi.net。こうした自然美と雄大な眺望、そして歴史的な背景を兼ね備えた両神山は、日本百名山に選ばれるにふさわしい名峰と言えるでしょう。

表参道「日向大谷ルート」の歴史:信仰が刻んだ登山道

両神山にはいくつか登山ルートがありますが、中でも東側の日向大谷口からの表登山道は最もポピュラーで、多くの登山者が利用するメインルートですyamachizu.jp。この道は単なる登山道というだけでなく、山岳信仰に裏打ちされた歴史ある参詣道でもあります。

江戸時代から明治にかけて、両神山は修験者たちの修行の山として知られていました。日向大谷の登り口には「両神神社」の里宮(ふもとの社)があり、近世には天台宗当山派の修験道場「観蔵院」として隆盛を極めましたjapanesealps.net。明治の神仏分離で「金昌寺」「八日見神社」と改称し、現在は両神神社里宮としてその名残をとどめていますjapanesealps.net。往時の登拝は厳格なしきたりのもとで行われ、女人禁制が守られていました。山頂の奥宮(本社)である両神神社へ登るには、まず里宮で参拝し宿坊で寝食を共にした上で、先達(山岳ガイド)の案内によってのみ許されたのですgreattraverse.com。この伝統的な登拝スタイルは昭和20年代頃(1940年代後半)まで続いたといいます。当時を知る地元の方によれば、戦後間もなく女人禁制の掟が薄れた頃、ワンダーフォーゲル部の女子学生たちが両神山に登ってしまった際には「山の祟りで死んでしまうかもしれない」などと噂されたそうですgreattraverse.com。それほどまでに、両神山は神聖で畏怖の念を持って信仰されていた山だったのです。

日向大谷ルートを実際に歩いてみると、こうした信仰の歴史が随所に感じられます。登山口からしばらく行くと鳥居が立ち、道脇には無数の石仏や石碑、丁石(道しるべの石)が点在していますsaitama.mytabi.net。苔むした石仏や石祠が静かに佇む様子は幻想的で、古の参詣者たちに思いを馳せずにはいられません。現在でも山中には約200基もの石碑・石仏が残されておりcamp-fire.jp、修験の山として栄えた歴史を物語っています。東面の裏手には浦島地区から登る別の参詣道もあり、こちらには両神御嶽神社(旧金剛院)の里宮が祀られていましたja.wikipedia.orgが、現在そのルートは廃道となっていますsyokoukai.or.jp

 

こうした信仰の登山道は、時代とともに一般の登山道へと姿を変えていきました。女性の登山も解禁され、大正3年(1914年)には講中(信徒グループ)による女性の初登頂が記録されていますja.wikipedia.org。昭和に入り観光登山が盛んになると、里宮の神主や宿坊も役割を終えて山を下り、登山道は広く開放されました。それでもなお、日向大谷コースには鎖場や岩場が連続し手応え十分で、昔と変わらぬ険しさを保っていますyamachizu.jp。事実、両神山は埼玉県内でも滑落事故の件数が最も多い山として知られておりcamp-fire.jp、年間3万人以上もの登山者が訪れる人気の山である一方、入念な準備と注意が欠かせませんcamp-fire.jp。「楽な山だろう」と油断すれば痛い目を見る――私自身が身をもって知ったように、覚悟を持って臨むべき山なのです。

「両神山」という名前の由来:伝説が語るもの

ところで、「両神山」という不思議な名前にはどんな由来があるのでしょうか。その名にまつわる説は古くからいくつも伝わっています。

 

第一の説は、「両神」=二柱の神を指すとするものです。両神山の山頂近くには両神神社の奥宮があり、日本神話の創造神であるイザナギノミコト・イザナミノミコトの二神が祀られていますjapanesealps.net。このことから、「二人の神様を祀った山」ゆえに両神山と呼ぶようになったという説ですsaitama.mytabi.net。実際、山頂の小祠は「両神山大明神」と称され、神仏習合時代には両神山全体が二神を祀る霊場として崇敬を集めましたjapanesealps.net。雄岳・雌岳とも形容される双耳峰のような山容も相まって、山そのものが男女一対の神霊の宿る場所だと考えられたのかもしれません。

 

第二の説は、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)にまつわる伝承です。日本武尊が東征の折、関東平野から西方を望んだときに8日間も見え続けた山があったため「八日見山(ようかみやま)」と名付けたという伝えですsaitama.mytabi.net。この八日見山が転訛して「りょうかみ(両神)」になったともいわれます。ふもとには「八日見(ようかみ)神社」という名前の神社も現存し、伝説を今に伝えています。秩父盆地からひときわ目立つ両神山の姿を、尊が八日も見つめたという逸話は、それだけこの山が印象的であったことの証しとも言えるでしょう。

 

第三の説は、龍神信仰に由来するものです。かつて両神山一帯では水の神である龍神を祀る風習があり、「龍神を祭る山」が転じて両神山になったとも伝えられますsyokoukai.or.jpsaitama.mytabi.net。実際、北麓の尾ノ内地区には龍頭神社という社があり、山中にも龍神を祀ったとされる祠が点在しています。山麓の神社では狛犬の代わりに狼の石像が置かれているのも特徴的ですsyokoukai.or.jp。これは両神山の神使(眷属)がオオカミであるとする秩父独特の信仰によるもので、日本武尊が道に迷った際に白い狼が現れて導いたとの伝説に基づいているといいますgreattraverse.com。二柱の神、八日見の伝承、龍神と白狼――多様な伝説を内包するところに、両神山という山名のミステリアスな魅力が漂います。

豊かな植生と自然環境:山が育む命

霊峰としての歴史だけでなく、両神山は自然環境の宝庫でもあります。秩父多摩甲斐国立公園の一角に位置し、原生的な森や希少な生物が息づいていますsaitama.mytabi.net。標高800m付近までの山麓ではサワグルミ、シオジ、ブナ、ミズナラといった落葉広葉樹が生い茂りsaitama.mytabi.net、山地特有の豊かな森を形成しています。その森を棲み処とするのは、ニホンカモシカやツキノワグマ、クマタカ(イヌワシの一種)といった大型の野生動物たちですsaitama.mytabi.net。夜半に山中で耳を澄ませば、国の天然記念物でもあるコノハズク(フクロウの一種)の神秘的な鳴き声が聞こえることもありますyamachizu.jp。春先(4月下旬~5月中旬)には山頂付近に可憐なアカヤシオの花が咲き誇り、秋には手付かずの自然林が鮮やかな紅葉に染まりますsaitama.mytabi.net。高山ではないものの、多彩な植生と四季折々の景観美が楽しめる山として、多くの登山者を魅了しているのです。

 

両神山周辺には貴重な植物相も見られます。秩父の山地には石灰岩質の地形が点在し、その影響で他では見られない希少種が育まれてきました。例えば、絶滅危惧IA類に指定されているチチブリンドウ(秩父竜胆)やブコウマメザクラ(武甲豆桜)、ホテイラン(布袋蘭)といった固有植物が報告されておりenv.go.jp、専門家や植物愛好家の注目も集めています。幸運ならば、登山道脇にひっそりと可憐な花を咲かせる二輪草やカタクリなどに出会えるかもしれませんyamatabi-hanatabi.com。地質学的には両神山は硬いチャート岩でできておりsyokoukai.or.jp、風化しにくい岩稜が険しい地形を生み出していますが、その岩場の隙間にも生命力旺盛な高山植物が根を下ろしています。

 

しかし近年、この豊かな自然環境に異変が生じつつあります。一つはニホンジカの増えすぎによる食害です。シカが樹木の芽や下草を食べ尽くすため、森の景観が変化し、生態系バランスが脅かされているといいますcamp-fire.jpcamp-fire.jp。実際、シカによってササが消え林床が丸裸になった山は各地で問題となっており、両神山も例外ではありません。また登山道の荒廃や倒木・土砂崩落も各所で見られ、自然環境と登山道整備の両立が課題となっていますcamp-fire.jp。そこで地元・小鹿野町や埼玉県は近年、登山道の補修や案内板の更新に加え、生態系の保全プロジェクトにも乗り出しましたcamp-fire.jpcamp-fire.jp。具体的には、シカの食害を防ぐための防護柵を設置して植生の回復状況を調査したり、両神山を象徴する鳥であるコノハズクの生息数調査を行ったりする計画ですcamp-fire.jp。これらの取り組みは国際的な「ネイチャー・ポジティブ」(2030年までに生物多様性の損失を回復軌道に乗せる目標)の考え方にも沿ったもので、豊かな自然と登山者利用の両立を図る持続可能な山づくりが目指されていますcamp-fire.jp

鉢形城落城と落ち武者伝説:山里に息づく戦国ロマン

両神山の麓には、もう一つ興味深い歴史伝承が残されています。それは戦国時代の落ち武者伝説です。秩父地方の山深い集落には、「自分たちの先祖は鉢形城から落ち延びてきた武士だ」という言い伝えが今も語り継がれているのです。

弊社サイモクホームの近くにある鉢形城です。

鉢形城は秩父に隣接する現在の寄居町にあった中世の名城で、北条氏の関東支配の拠点の一つでしたakibargotou.com。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に前田利家・真田昌幸らの軍勢によって攻囲され、鉢形城は落城しますakibargotou.com。そのとき城主北条氏邦の家臣や兵士の多くが、逃げ道を求めて西方の秩父方面へ落ち延びていきましたakibargotou.com。辿り着いた先が人里離れた秩父の山村、両神山をはじめとする奥秩父の山麓だったと伝えられています。

 

逃れてきた武士たちは、追手の目を逃れるために人跡まれな山奥に隠れ里を形成しました。例えば、秩父市吉田町の石間(いしま)地区にある沢戸集落や、奥秩父の最西端に位置する大滝村(現秩父市大滝)の栃本集落などが、その落人(おちうど)の里として知られていますakibargotou.com。これらの集落には現在でも「うちは鉢形城からの落ち武者の子孫だ」という家系が存在し、山深い土地ながら独自の文化を守り続けてきましたakibargotou.com。実際、沢戸には代々伝わる刀剣や甲冑などの品が多く残されていたとも言われますが、太平洋戦争中の供出や戦後の古物商によって散逸し、今は僅かしか残っていないそうですakibargotou.com

 

落ち武者たちが築いた小さな集落は、以後の時代にその地域の発展に密かに寄与しました。山奥に人が住み開墾が進んだことで、秩父の山村にも田畑や暮らしの営みが根付いたのです。養蚕が盛んだった頃には、そうした山間の農村で桑畑を耕し蚕を育てる人々も多く、独自の民俗芸能や祭事を伝える村もありましたakibargotou.com。鉢形城落城という動乱の歴史が、巡り巡って両神山麓の村々のルーツと結びついている――これは私にとって驚きとロマンを感じさせるエピソードでした。戦国の世を逃れた落人たちの物語は、ひっそりとした山里に今なお脈打つ歴史の余韻として両神山の魅力を一層深めています。

山を彩る伝説とオカルト的な魅力:霊峰に潜む不思議

霊峰・両神山には、歴史伝承のみならず怪談めいた不思議な話も数多く伝わっています。長い歴史と信仰に彩られたこの山には、どこか神秘的で超自然的な気配が漂っているのかもしれません。

 

たとえば地元では、両神山の山中で「夜に人影を見た」「誰もいないはずの峠で足音が聞こえた」といった怪異譚が語られることがあります。ある登山者の体験では、無人の避難小屋で夜を明かした際、真夜中に誰かが小屋の周りを歩き回る足音がしたものの、翌朝確認すると人の気配はなかった、というものyamareco.com。疲労もあって恐怖は感じなかったそうですが、不思議な出来事に違いありません。別のキャンパーは「両神山でキャンプしたときの出来事が、自分史上最恐の心霊体験になった」と打ち明けていますameblo.jp。こうした話から、両神山は心霊マニアの間で「埼玉有数の怖いスポット」として名前が挙がることもあるようですameblo.jp。山中に点在する無数の石仏群は昼間こそ信仰の象徴ですが、薄暗い夜半には何とも言えぬ畏怖を感じさせ、想像力を刺激します。かつて女人禁制を破った若い娘たちが「祟りで命を落とすのでは」と噂されたエピソードもありましたがgreattraverse.com、こうしたタブーと神罰の物語もまた怪談めいた雰囲気を醸し出しています。

 

一方で、両神山の不思議な話には畏れと優しさが同居しています。代表的なのが白狼伝説です。日本武尊が迷い込んだ際、どこからともなく一匹の白いオオカミが現れて道案内をし、尊を救った――この古伝承は前述の通り秩父の神社に狼像が置かれる由来となりましたgreattraverse.com。山犬信仰として崇められた狼は、山の霊が姿を変えたものとも言われ、道に迷った人の前に現れて命を救う守護霊のような存在です。実際、昭和初期まで両神山麓では「山犬貸し」といって、狼のお札を貸し出す風習があったそうですjac.or.jp。旅人や商人がこの狼符を持って山道を行けば盗賊除け・火難除けになる、と信じられていたといいますjac.or.jp。霊峰に宿る不思議な力が、時に怖ろしげな怪談となり、時に心強い守護伝説となって人々に受け入れられてきたのでしょう。

 

このように両神山は、歴史・自然・伝説が重層的に折り重なった魅力をもつ山です。実際に登ってみると、険しい鎖場を乗り越えた先に広がる絶景だけでなく、言葉にしがたい「山の気配」のようなものを感じる瞬間があります。頂上に立ったとき、吹き抜ける風とともにどこか遠い時代の祈りの声が聞こえてくるような錯覚さえ覚えました。もちろんそれは私の想像に過ぎないのでしょうが、古より多くの人々が両神山に畏敬と憧れを抱いてきた気持ちが少し分かった気がします。霊峰・両神山――その歴史と魅力、不思議な伝説の数々は、現代に生きる私たち登山者の好奇心を今なお掻き立ててやみません。険しい道のりの先に何が待つのか、自らの足で確かめに行ってみてはいかがでしょうか。きっと、雄大な景色とともに、この山ならではの不思議な魅力に触れることができるはずです。そしてどうか、挑戦する際は十分な準備と敬意を持って臨んでください。両神山はきっと、あなたに忘れられない体験を与えてくれることでしょう。

参考文献・出典:両神山観光情報saitama.mytabi.netsaitama.mytabi.net、山と高原地図Webyamachizu.jpyamachizu.jp、グレートトラバース3日記greattraverse.comgreattraverse.com、埼玉県環境部資料env.go.jpenv.go.jp、後藤晃「秩父の歴史旅」akibargotou.comakibargotou.comほか.

ps 下山中、犬がいて可愛かった。あの山登るの凄い。3才の女の子。

また、険しいため眺望が良くてもなかなか来れない面も感じ、もっと登りやすく

木橋で頂上から別の山の頂上まで行けてしまう。そんな橋を作ってみたいですね^^

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です